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【SpecialTheme1 鉄③】<過去>2度の失敗 ~わずか3年で閉鎖した官営製鉄所

*この記事は、SpecialTheme1 鉄 Part3です (Part1Part2Part4Part5

 

<過去>2度の失敗

わずか3年で閉鎖した官営製鉄所

1874年、明治政府は官営製鉄所を臨海地区に建設することを計画。
この時、大島高任の案と、ドイツ人技師ビャンヒーの案、2つの案がありました。大島は、大只越(おおただこえ)町に小規模高炉5基、一方ビャンヒーは、鈴子(すずこ)町に大規模高炉2基を作ることを提案します。

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「この時どちらの案がいいかではなくて、誰が偉いかで決めています。当時は外国人の方が偉く、ゆえに外国人であるビャンヒー案が採用されました」

最新鋭の技術を導入し、巨額の建設費をかけて作られた官営製鉄所ですが、わずか97日で操業中止。その後も操業中止、再開を繰り返し、結局約3年で閉鎖となります。

「大きな問題は、いきなりドイツ人の最新技術を入れてもついていけなかったことです。橋野や大橋高炉の生産量は1日2トン。一方、官営は1日25トンと規模が全く違います。事前調査が足りず、日本の能力をわかっていなかったことが、失敗の原因だったと考えられます」

官営製鉄所失敗の後、この製鉄所を再建したのが、田中長兵衛と横山久太郎です。48回失敗し、49回目にして初出銑(しゅっせん)に成功しました。もし彼らがあきらめていれば、官営製鉄所の失敗により、釜石の鉄の歴史は途切れていたかもしれません。

 

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↑ 写真奥が現在の大只越町。住宅が立ち並んでいます。大島案が採用されていれば、全く違う町の風景になっていたかもしれません

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↑ 現在の鈴子町(釜石駅前) 大島高任像と釜石製鐵所

 

*SpecialTheme1 鉄の記事はこちら