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【SpecialTheme1 鉄④】<過去>たたら製鉄

*この記事は、SpecialTheme1 鉄 Part4です (Part1Part2Part3Part5)

 

<過去>たたら製鉄

1858年大島高任の成功より、さらに過去にさかのぼります。

釜石は鉄資源が豊富な土地であったことから、古来より製鉄が行われていたと言われています。長く続く鉄の文化、鉄のある暮らしについて『たたら製鉄』という視点から、三浦勉さんに伺います。

●お話/橋野の自然と歴史の案内人 三浦勉さん

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『たたら製鉄』とは、近代製鉄が誕生する前の木炭を利用し、砂鉄から純度の高い銑鉄をつくりだすための技術です。たたらは、風を送る『ふいご』のことで、その名が転じて製鉄法や、製鉄炉を表すようになりました。

記録に残っている橋野地域の最古の鉄山が『和山七ヶ山』です。『栗橋村郷土教育資料』によると、1644年から1735年まで約100年間、たたら製鉄が行われていました。

釜石市郷土資料館には『和山七ヶ山』の分布図が、現地の写真と共に展示してあります。これを作られたのが三浦勉さんです。

「分布図を作ったのは、2007年。『和山七ヶ山』の中でも、初神鉄山が一番大きくて、野球場1つくらいあるかな。ただ、文献に有名な場所が7か所載っているだけで、他にもいっぱいたたら場があるのよ、20か所くらいかな。
調べる時には川筋を歩いてね。ノロカス(製鉄をするときにでたカス)を流したり、できた鉄を取り出すときに冷やしたりするために、水場が近くに要るから。
砂鉄と、沢水と、粘土がある場所なら、どこでもたたら場があったのよ。あと木炭にする木も必要だね」

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↑ 川筋を歩いて探します

 

それだけ多くのたたら場があったならば、多くの人がたたら製鉄に従事していたと推測されますが、記録は残っていないそうです。

「鉱山稼ぎは、基本移動して歩く。砂鉄も掘ればなくなるわけだから。橋野に残った人も一部いるけど、多くは別の山に移って行ったね。当時は、中国地方のたたら場と同じくらいの人が働いていたと思うよ」

橋野は、鉄を扱ってきた実績があったからこそ、近代製鉄も成功できたのではないか。三浦さんはそう考えています。

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↑ 中央の黒い石がノロカス (製鉄をするときにでたカス)

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↑ 磁石を土に近づけると砂鉄がびっしり

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↑ 橋野山中のいたるところに鉄の素があります

 

参考:
橋野尋常高等小学校・栗林尋常高等小学校編『岩手県上閉伊郡栗橋村郷土教育資料』

 

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